すーんだい

浅い思考は、人の深い思考を促す

正解

久しぶりに書いてみようかと思う

まぁ、掃き溜めになるんだろうけども()



勉強をしているとつい考え事をしてしまう。

「正解」とはなんだろう

と、


この問の答えは誰が正解できるのだろうか。

定義がとてつもなく曖昧

それなのに勉強しているとひたすらに付きまってくる言葉


Google先生に聞いてみると「正しい解答、解釈」と返って来る。


うーん、曖昧。どのへんが曖昧かと言われると「正しい」の概念が絶対的じゃない所だろうか。


「正解」を再定義してみる

「これ以上追究できない最終的結果」

とかはどうだろうか。



そういえばこの間マックで飯を済ませてたら、後ろの席で話してる輪郭の薄い女子高生が「死ぬことは正解だよね」って言うと、スっと消えて店の中でスタンディングオベーションが止まらなかった。

延長

今回もまた延長、まぁ、クオリティが高ければ何も問題はないので頑張って欲しい。

って艦これの話始めても読む人がいるのか?

とりあえずここらへんで止めておこう。

趣味を持っている、それだけでどんなにゆとりある生活が過ごせるのだろうか。

最近は趣味が無くなったからつまらないのか、趣味をする時間が無くなったからつまらないのか、もはや分からない。


時間がない。光速で動く箱の中で永遠にゲームしたい。と思ったけど現実の時間が進まなければ面白くない。



時間が欲しい。

今日もそう望みながら予習を諦める

無意識

人間は誰しも無意識な行動をすることがある。
それは、自分に得になることもあれば損することもある。何にも影響を及ばさないこともある。

自分は無意識な行動が好きじゃない。
自分の意識外で自分が損するような事が起きてしまうからだろうか。

腕を組んだりして無意識が出ないようにする。


そもそも無意識な行動が嫌なのも無意識かもしれない。


無意識を意識すること自体も無意識なのかもしれない。


結局何事も無意識なのだろう



無意識からは逃げられない

容器

今日は駿台に行ったのでエラい日

細かいことでも自分を褒めとかないと何かが崩れてしまうような気がしてくる。
ストレスについての考え方はよく容器のようなもので例えられる。

容器にストレスが溜まっていって、溢れると爆発して崩壊する。
基本単純脳なので、褒めるだけでストレスは減る、特に今日みたいな何に対しても悩まなかった日はストレス軽減の効率がとてもいい。



今日は早く寝て明日の朝をストレスの容器が空っぽの状態で迎えられるように努力しよう。

なぜ絶滅危惧種を保護しようとしているのか。
人間による影響はあると思うが、少なくとも環境に適応出来なくなった結果という観点では自然淘汰と同じではないだろうか。


ふと思った疑問。保護活動を止めるべき!という訳では無い。

Twitterで議論した結果色んな意見があった。

・人間の自己満足という考え
・人間が滅ぼした(減らした)ことに対する罪滅ぼしという考え
・人間は自然の外であるという考え
・回り回って人間に悪影響を及ぼすという考え

などなど


どの考えが善でどの考えが悪かはここでは問わない。
大事なのは大多数の人を納得させる考えだ。

世の中にはとりあえず反論するタイプの人間がいる。
その人のおかげで人間が暴走しないのも事実なのだが、集団としては小回りが全く効かない。

そんな人達にも納得して貰えるような考え。

最初に挙げた疑問で、個人的に優勝だと思った考えで締めくくろう




珍しい動物がいっぱいおったほうが動物番組も楽しいじゃないか(原文ママ

自動車は今後どのような発展を遂げるのだろうか。

近年では燃費の良さを追究した車や、安全装置が着いた車がブームのように感じる。
しかし、これ以上はあるのかという疑問が浮かぶ。

水素自動車は思ったより普及しなかった。
水素ステーションが全く広まらなかった。

原因は従来の自動車が普及しすぎていたからだろう。
それはもはや文化といえるレベルのものだ。

科学技術に依存した社会の基盤にある従来の車文化は簡単には動かせない。

自動車の追突事故が増えても手が打ちづらいのはこれのせいだろう。
地域によっても重要度が変化してくる問題でもあるため、大変なことになっている。



個人的には自動車は行き止まりだと考えている。
自動操縦はかなり難しい。現在の開発状況は、アメリカの会社が地球数周分のテスト走行を終えており、さらなる機械学習を積み重ねている所らしい。

一方日本では、テスト走行が思うように重ねられていない。それは日本が規制国家(この間読んだ意識高い系雑誌にあった気に入った表現)であるからだ。
たとえテスト走行が完了して、商品化された自動操縦付きの自動車は日本では普及出来ないだろう。


いっその事、文明が滅んでしまえと思ってしまう。
暫くはそんなことが起きるはずもないので安心して生活が送れるだろう。


創造には破壊が付き物だということを意識する必要があるのかもしれない。

老害

結局1日(授業中を含む)考えてみたけど、自分に直接的な悪影響がないと経験が少なすぎて、思ったより深く考えられない。

何か目にしたと言えば、また車をミサイルにした老人がいたぐらいか。


このような時は意識しないのが一番に違いない。
どうせ先に消えてなくなる。
老害という概念すら消す勢いで意識しないようにする。

今度は自分達が老害になる可能性もあるが、法整備が整うことを祈ろう(他力本願)
むしろ今の法が穴だらけに感じる




老害を意識の外に追いやった後、老害による影響は残りつつも、老害という概念は無くすことは可能かもしれない。