すーんだい

浅い思考は、人の深い思考を促す

自動車は今後どのような発展を遂げるのだろうか。

近年では燃費の良さを追究した車や、安全装置が着いた車がブームのように感じる。
しかし、これ以上はあるのかという疑問が浮かぶ。

水素自動車は思ったより普及しなかった。
水素ステーションが全く広まらなかった。

原因は従来の自動車が普及しすぎていたからだろう。
それはもはや文化といえるレベルのものだ。

科学技術に依存した社会の基盤にある従来の車文化は簡単には動かせない。

自動車の追突事故が増えても手が打ちづらいのはこれのせいだろう。
地域によっても重要度が変化してくる問題でもあるため、大変なことになっている。



個人的には自動車は行き止まりだと考えている。
自動操縦はかなり難しい。現在の開発状況は、アメリカの会社が地球数周分のテスト走行を終えており、さらなる機械学習を積み重ねている所らしい。

一方日本では、テスト走行が思うように重ねられていない。それは日本が規制国家(この間読んだ意識高い系雑誌にあった気に入った表現)であるからだ。
たとえテスト走行が完了して、商品化された自動操縦付きの自動車は日本では普及出来ないだろう。


いっその事、文明が滅んでしまえと思ってしまう。
暫くはそんなことが起きるはずもないので安心して生活が送れるだろう。


創造には破壊が付き物だということを意識する必要があるのかもしれない。