すーんだい

浅い思考は、人の深い思考を促す

区別

進研模試を終え、疲れからか……(ry

国語の点数を見て「あれ?50点満点かな?」という地獄。
英語も100点満点かな?
先生に言及されたらヘッドスライディング土下座をするしかない。


昨日予告した通り、今日は「区別」について。
人がして行く中で身につけた能力で、これのおかげでさらに進化したと思われる能力。

この能力は今ならどんな所でも使われる。
道を往くそこの人は女だとか、持っている袋は紙製だとか。
普段の日常において、区別とは無限に広がるかのように思わせられる。


「区別」というのはその時に人が必要だと感じた時に区別をする。それは「このキノコは食べられるかどうか」といった、命がかかった状況から生まれたのかもしれない。
つまり、調べる、さらに言うと「興味を持つ」ということに関係してくるのだといえる。

「興味を持つ」ことは識るという事。安全かどうかを「区別」する。日本でいう「イカ」や「タコ」はそれぞれに名前が付けられている。「区別」されている。しかし、海産物に「興味」が(あまり)ない英語圏では昔、「イカ」と「タコ」をまとめて「悪魔の魚(devil fish)」と呼ばれ、「区別」がされていなかったのだ。今となっては、生物学などの科学的分野や商業などの経済的分野においてこの「区別」が必要となり、「squid」や「octopus」と「区別」出来るようになった。

もし、興味が全く向けられない分野、あるいは興味を失いつつある分野はどうなるのか。
例えば、釘を打つ時に使う工具と言えば何が思い浮かぶだろうか。
「かなづち」「トンカチ」「げんのう」「ハンマー」
自分の中ではこれが限界だが、どれも同じようなものだと思ってしまう。

これらの言葉が分化して行く頃は、「釘を打つ工具」に需要、「興味」があったに違いない。しかし今となっては、意味が結合しつつある。

これらはある意味で、人間の進化と言えよう。言葉の世界にも自然界と同じように「自然淘汰」が存在するのかもしれない。



次回も同じ内容で繋げてみる。(思考中)

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