付加
結局、昨日はテーマを「炎上」にして何故存在するのか、とか言いながらそこん所全部すっ飛ばしてしまってたので補足。
炎上は
①中心人物(燃やされる人):全ての人は完璧ではないので誰でもなりうる
②外堀(燃やす人):自分がこいつを引き立たせてやってるんだ、という謎の達成感と周りの人に見てもらえることで満たされる承認欲求で動こうとする人。不満の多い生活を送ってる人に多い。
このふたつの要素が混ざればいつどこでも発生しうるものなので、炎上は消えることは無い。
補足はこんな所だろうか。
というか、今日も瞼が重い。
もう寝るとしよう。
明日は別の消えないものについてでも語ろうか
炎
世の中には無くならないものがある。
炎上、老害、依存症、不適合者、自称進学校、etc
何故それらが存在するのか。
そう問われてもこれらをひとまとめに理由を答えることはできない。存在理由はそれぞれでバラバラなのだ。
とりあえず無くすことは出来ないので未来志向で行こう。
そうだ、これらに存在意義を与えてしまえば良いのだ。
まず簡単に意義を与えるとしたら「反面教師」にすることだ。これなら誰でもできる。
問題点があるとすれば、何を基準に善悪を判断するか、というところだがそれはまたの機会にしたい(少し厄介なので)
では、他に意義を与えるとしたら何にしようか。
ここで炎上にフォーカスを当てて考えてみる。
炎上は見てて楽しい。そう思う人が多いだろう。
人の不幸は蜜の味
まさしく人間らしい比較を用いた幸せの感じ方だ。
しかし、これでは何も生まれない。
個人単位で短期的に見れば一部が幸せを感じているが、集団単位で長期的に見れば精神的負のエネルギーは消えていない。人の不幸で得た短期的な幸せは空虚なものなのだ。
炎上でもっとも不幸な人はもちろん燃やされている人だが、残念ながらその人に落ち度があることに原因がある。
炎上は自分の欠点を見つめ直すタイミングでは無いかと考える。
(余談だが何度も炎上する人は見つめ直そうとしない所に欠点があるので助けようがないが、それが心地よいと感じている人もいる)
炎上するというのは余程致命的であろう。
そんな欠点は自分だけでなら見つけることは出来ても、解決はなかなかできない。
そこで第三者の出番だ。第三者はなるべく炎上の件とは関わりがない人の方が良い。第三者なのだから当然かもしれない。
欠点は補う形でもよし、ブレーキをかける形でもよし。
二度は同じ間違いをしないという事はとても難しいが、それが本人にとって良い結果になるのは間違いない。
あとは炎上が治まるのを待つのみである。
沈
今日はやらかしまくってる日なのでもう寝ます
物心
小さい時の記憶、雪が降る外を窓から見ている、3歳の頃のそんな記憶だ。
そしてこれが物心をついたときである。
物心をつくとはどういう意味か。
調べてみるととても曖昧な定義づけがなされていた。
むしろ定義づけが出来ていないかのような状態である。
最初の例に出した文章は国語辞典の例文を応用したものなので間違いはないのだが、国語辞典の例文も見てみると、どの文章も「物心をつく」=「記憶がある」と見て取れるのだ。
ここから考えられることは、人が初めて「思い出す」という行為をして思い出された内容が脳に定着するのではないだろうか。
思えば、例に挙げた文章の内容も今までに何度か思い返した記憶である。
記憶は脳に定着させるためには「思い出す」という行為が必要であり、さらに言えば「忘れる」という行為も必要である。
人によって忘れる回数が多く必要な人もいるが、そういう人はより強固な記憶となるであろう。
こんなことを偉そうに書きつつ、「思い出す」行為をせずに「忘れる」行為ばかりやっている人がここに一人。
題
いつも題材選びが難しい。
昨日は生タヒについて扱ったけどやはり手に余ってしまった。
実はもう既にネタ切れなのかもしれない。
と言っても、強制的にでも毎日思考深めないと脳が腐ってしまいそうだ。
そんなことを言いながら瞼が既に限界を迎えている。
今日は早く寝よう。
そして明日ゆっくり夜更かししよう。
蒙古タンメン
今年も五月病の季節がやってきた。
やはり自殺する人が多い。
何故、人は自殺をするのか
とりあえず思考の種を置いてみる。
もちろんこのままでは育つはずがない。
もし、目の前に後一歩で自殺を完遂できる人がいるとする。自分はどのように思いとどまらせることができるだろうか。
もちろん「周りの迷惑になるからやめろ」というのは意味が無い。タヒんでしまったら本人には関係ないからだ。
他に思い付かず、別に思いとどまらせる義務が自分にはないと言ってしまえばそれで終わりだ。
タヒとは何か
そもそも「生」とは何か
今の自分に「生」の実感はあるのか
人に限らず他の生物でも同じ事があるが、タヒの危険に脅かされると「生」という概念がハッキリとする。
辛いものを食べる、ホラー映画を観る、お化け屋敷に入る、一種の自傷行為が「生」を強調するのだ。