すーんだい

浅い思考は、人の深い思考を促す

遠回り

浪人して思うのは「これは決して遠回りじゃない」っていうこと。

浪人するまでは親から負のイメージを教えられてたから決まった瞬間は一時的、相対的に不幸に感じた。
そろそろ1ヶ月がたとうとしているこの駿台生活。
日を重ねる毎に相対的に幸せを感じている。

浪人は悪くない。

とは言いきれないのが悔やまれる。
人には人の事情がある。


浪人は遠回りか?
ここで昨日言った「裏」について考えてみる。

現役で大学進学しても遠回りしている人もいるのではないだろうか。これは確かめようがない事だが、全員が自信を持って現役進学を近道とは言い切れない。


そして自分が思うに、「人生に遠回りは存在しない」と思う。
パラレルワールドを扱ったいくつかの作品に触れてみれば感じるものがある。

人生における様々な選択は未来への分岐点であり、どの道も同じ道を通ることは無い。

浪人を経験した社会人と経験していない社会人が全く同じはずはない。
善し悪しは誰にも判断できない。



この駿台生活を良き人生を経験するための土台作りのために与えられた時間だと思って励みたい。

もちろん現役進学の人も今からでも間に合うだろう。

世の中には対になる概念が存在する。

上があれば、下もある。
右もあれば下もある。←ごめんなさい左でした(5/7.0:01)
高いもあれば低いもある。
表もあれば裏もある。

いずれもどちらが先に意識されたかは誰にも知り得ない。少なくとも必要があったからこそ発見され意識されるようになった。


個人的に、いつも物事を考える時は「裏」を意識する。

「女性は弱いから〜〜」という意見があった時は二つの裏が存在する。
「男性は弱い」と「女性は強い」、どちらも存在する概念である。すると例に出した意見で根拠としていた部分がいつの間にか貧弱なものになってしまうのだ。
これに伴って意見した人は差別的だと言われ炎上しやすい。
裏を返せば、これを意識すれば炎上しにくいということである。

ハイコンテクストな日本語は読み取り手によって多様な解釈が可能である。しかし、言葉選びさえ間違えなければ万人に同じ意義で意見を伝えられる。



その一歩として誤解を産む表現を防ぐために自分の意見の「裏」を考えてみることを提案したい。

こどもの日

今日は5月5日、こどもの日。
世の中には「こどもの日アァァアァ」(原文ママ)って喜んでる絵師さんが居たり、推しの誕生日を祝ったり。アニメキャラの誕生日を見てみると1月1日や3月3日、5月5日などゾロ目の日が誕生日のキャラクターが飛び抜けて多い。
日本の行事もゾロ目の日が多く、縁起のいい奇数のゾロ目に多い。

人はゾロ目に何か特別な意味を考えてしまう。
日本では7が2つ、若しくは3つ並んでいるといいことがありそうな気がする。
中華圏では漢字で書くと末広がりな8が同じように並んでいると縁起がいいとか。
西洋では666は獣の数と呼ばれ忌み嫌われたり。
昨日紹介したダンテの『神曲』も3が至る所に連続して隠れている。

数字に特別な意味を感じるのは人間の小さな縋りたいという気持ちがそれを作り出したのではないか。
もはや宗教と同じようなものかもしれない。

やっぱり日本人は4の文字列に抵抗がある。
7は少し依怙贔屓したくなる。

縋りたいという気持ちが少しの選択を大きく左右していることは気づく事は難しいが、ふとした瞬間にそれを考えてみるのもいいかもしれない。

ロダン

「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」(ダンテ『神曲』)
いつもそんな気持ちでくぐる門(今日は行ってないけど)
その門の上では何人もの人が考えている

ダンテの『神曲』は「地獄篇」「煉獄篇」「天獄篇」の三部に別れてて、この門をくぐっている間はまだ序章なんだなと思うとかなりきつい。

でも、やりたいことがこの社会システムに従属している以上、自分も社会システムに従属するしかないので我慢。何がやりたいのか分からないけど。

面白くない話

翔んで埼玉を観てきたけど、あれ凄いね。次々とネタが飛び出してくる。埼玉だけであの密度、さすが埼玉、さすが魔夜峰央先生。

魔夜峰央先生の漫画はパタリロも何回か読んでて、
あの世界観というか、キャラがすごい好き。ぜひ翔んで埼玉も漫画で読んでみたいと思った。



昨日の夜、とある紙に署名して、今日模試を終えて帰ってみると猫がいた。
早速遊んでたら手を引っかかれた。
イタイ……

水も飲んだし、ご飯も食べたし、トイレも出来たからとりあえず安心。


どんな猫かというと

口元が白くて、全身茶色ベースの錆猫。

尻尾も茶色かった。











尾も白くない!!

以上茶番でした

こじつけ

今日の化学の先生はめちゃくちゃにSTAP細胞についてディスっていた。これはしょうがない事なのだが、改めて何が問題だったのかがよく分かった。


まず、理系の学を深めるためには複数前提的能力が必要で、そのひとつとして「考察」する能力がある。「結果」を踏まえた「考察」をするというのが、理系に必要な能力の大部分を占める可能性がある程だ。

そして「考察」は理論の組み立てであり、「結果」を無視しては行けない。理系のみならず、文系の人も当たり前に感じるかもしれない。この前提を無視して論文が発表されたSTAP細胞が大きな批判を受けたのは至極真っ当なのかもしれない。

自分は文系から逃げてきた理系ではあるが、それでも理系としての心構えが必要である。

あのようなニュースからも理系であるためにはどうしたらいいかを理解しておく必要があるかもしれない。それは文系にも同じように言えることであろう。

令和最初の

ついに令和が始まった。もちろん自分は平成からの途中参加なので平成の始まりは知らないけれども、改元の意味に変化を与えられたものだと思う。

昨日は安易に「平成最後の」とかタイトルをつけちゃったせいで、今日はバランスをとるために「令和最初の」とタイトルをつけてしまった。

関係ないのに。


とりあえず今日は大きな変化があった日なので「変化」について語りたいと思う。


加加加速度

この間、小見出しの出力方法を知ったので変化を加えてみた。どうだろうか。

駿台では基本、物理では微積を使う解法で教えられている。
位置を時間微分すると速度が、速度を時間微分すると加速度が求まる。しかし試験で出されるのはここまでだ。

実はさらにこの先があるのだ。

加速度を時間微分すると加加速度が、加加速度を時間微分すると加加加速度が、加加加速度を時間微分すると加加加加速度が、、、、、、


驚きなのが名前までもがついているということだ。

加速度から順に
acceleration(加速度)
jerk(加加速度)
snap(加加加速度)
crackle(加加加加速度)
pop(加加加加加速度)

加加加速度まで来ると殆どの人が使うこともないだろう。しかし加加速度は一部の業界で多様される。

たとえば自動車業界では、エンジン開発の際においてよく使われる。
加加速度は一般に「躍度」と呼ばれる。
そしてこの「躍度」は人間の精神面に大きな影響を与えるという。単純に快・不快だけではなく、肉体に与える負荷のパラメータとなっている。

確かに想像してみれば、一定の加速度で加速している車に乗っている方が安心して乗っていられる。


少し前に「日本の経済成長率がn年連続でプラスを維持しているが国民はそんな好景気を実感していない」というニュースを見たが「躍度」の概念があればそれが当たり前であると分かるだろう。
数値が出ていても、一度微分しないと人に与える変化は出ないのだがら。

リーマンショックの時などの不況であれば経済成長率の変化率が大きく負に傾くので誰もが不況を敏感に感じることが出来たのである。



変化と微分は切っても切れない関係にある。
令和で何か変化を起こしたいなら、微分を勉強してみるのも悪くないかもしれない。




それよりも、まず自分が勉強しろ←