すーんだい

浅い思考は、人の深い思考を促す

世の中には無くならないものがある。
炎上、老害、依存症、不適合者、自称進学校、etc

何故それらが存在するのか。
そう問われてもこれらをひとまとめに理由を答えることはできない。存在理由はそれぞれでバラバラなのだ。

とりあえず無くすことは出来ないので未来志向で行こう。


そうだ、これらに存在意義を与えてしまえば良いのだ。
まず簡単に意義を与えるとしたら「反面教師」にすることだ。これなら誰でもできる。
問題点があるとすれば、何を基準に善悪を判断するか、というところだがそれはまたの機会にしたい(少し厄介なので)


では、他に意義を与えるとしたら何にしようか。
ここで炎上にフォーカスを当てて考えてみる。
炎上は見てて楽しい。そう思う人が多いだろう。

人の不幸は蜜の味

まさしく人間らしい比較を用いた幸せの感じ方だ。

しかし、これでは何も生まれない。
個人単位で短期的に見れば一部が幸せを感じているが、集団単位で長期的に見れば精神的負のエネルギーは消えていない。人の不幸で得た短期的な幸せは空虚なものなのだ。


炎上でもっとも不幸な人はもちろん燃やされている人だが、残念ながらその人に落ち度があることに原因がある。


炎上は自分の欠点を見つめ直すタイミングでは無いかと考える。

(余談だが何度も炎上する人は見つめ直そうとしない所に欠点があるので助けようがないが、それが心地よいと感じている人もいる)

炎上するというのは余程致命的であろう。
そんな欠点は自分だけでなら見つけることは出来ても、解決はなかなかできない。

そこで第三者の出番だ。第三者はなるべく炎上の件とは関わりがない人の方が良い。第三者なのだから当然かもしれない。
欠点は補う形でもよし、ブレーキをかける形でもよし。
二度は同じ間違いをしないという事はとても難しいが、それが本人にとって良い結果になるのは間違いない。


あとは炎上が治まるのを待つのみである。