すーんだい

浅い思考は、人の深い思考を促す

比較級

GWの予定が埋まってきた。去年より充実してるのは高校から開放されたからだろうか、駿台が拘束しないからだろうか。



最近、「自分が幸せだ」とか「この瞬間が楽しい」だとか、思うことが少なくなってきた。
少なくとも鬱になる可能性は低い(と思いたい)が、モチベーションの発生源が見つからない。そんな気分だ。

そもそも人の感覚は例外なく全て「比較」だ。
世の中の全ての幸せは不幸があるからこそ存在するといっても過言ではない。
だからと言って「他人の不幸は蜜の味」と言っている訳では無い。

「比較」の仕方には二種類ある。
他との比較と己との比較だ。
前者は他人との比較で幸せか不幸かを判断する。しかしこれは先に挙げた「他人の不幸は蜜の味」も含まれる。
確かに「他人の不幸は蜜の味」というのは自分の労力なしに幸せを感じる方法かもしれないが、集団規模で見るとそれはただの足の引っ張り合いだ。とても醜い。

それに対して後者は他人を巻き込むことなく自己完結で幸せか不幸かを判断する。
これは、自己の中に2人の人間を用意するのではなく、過去の自分と現在の自分を比較するということだ。



自分のモチベーション探しのためにダラダラと考察を書いてみたけど、何も面白いことが見つからない。自分は将来何をしたいんだ。その答えを探すべく、我々はコンクリートジャングルの奥地へと足を運んだ。

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