すーんだい

浅い思考は、人の深い思考を促す

たとえば

今日は1週間の学習状況を記した紙の提出日だった。しかし直前まで何も書いていなかった。そう、自分には1週間の学習を記し上げる自信があるのだ。誰よりも短い時間で書き上げる自信があったのだ。

そう言って、自分はセルだけが刷られた紙を提出した。




「たとえば、先の短い個体が先の長い個体を踏み台にして、足を引っ張りあって絶滅する生物種がいたら面白いだろうか」
何故かふと思いついた。ここでの「面白い」は「興味が湧く」という意味が近いかもしれない。だれもヒトのことだとも言っていないし、ヒトがそのような運命を辿るのは億単位の時間が必要だろう。


こんな「妄想」みたいな事をして、現実からの不安から逃げようとしている。「妄想」は決してネガティブなことだけではないし、ポジティブなことも考える。だが、ネガティブなことを考えている時の方が「妄想」に没頭できるのだ。如何に最悪のパターンを回避できるのか。

回避に回避を重ねて自分の中の答えを出す。ここまで出来ればいいと思うが、出るのは最善策であって、「答え」ではない。

しかし、これでいいのだ。
もし、「答え」を出してしまったら、現実逃避の「妄想」が出来なくなってしまう。常に脳に圧力がかかった状態が精神的に安定しているかのような、一種の麻薬であるのかもしれない。


今後も将来の不安を薄めるため、精神の安定を保つため。今後も「思考」を深めていきたい。



相変わらず駿台フレンズは増えません
f:id:z__zyu:20190425001122p:plain