区別の先にあるもの
今日は駿台で睡眠を1時間分貯金出来たので、まだまだ元気(休み時間なので合法)
今回は前回(https://zzyu.hatenablog.com/entry/2019/04/22/002205)の続きを
前回は「区別」を言語的視点から見たが、今回は社会に与えた影響について考えよう。といっても、「区別」による影響は計り知れず、生活する上でも無意識に使ってしまうほどのものである。
経済を回す上でも「区別」は無意識に使われる。分業する際も、まず第n次産業(1≦n≦3)と「区別」され、さらにその中でも農業、水産業、林業、工業、運送業、接客業、、、、、、
これ以上挙げていてはキリがないほど「区別」は細分化されている。
実際この「区別」により、ある程度のまとまりとして、政府は方針を立てることが出来ていたりする。これは「分類化」という別の能力も必要になっているがそれについて語るのはまたの機会としよう。
「区別」は他のところにも用いられている。国際分業という考えが一般的になりつつある今日、先進国と発展途上国で「区別」したり、ASEANに加盟している、TPPに加盟している、OECDに加盟しているなど、「区別」の仕方が多様化し、経済の発展に役立っている。
どこにでも使われている「区別」、知っての通り良い面だけではない。
もし、家系で「区別」されなければ
もし、人種で「区別」されなければ
もし、宗教で「区別」されなければ
非人と呼ばれることはなかったかもしれない
ナチスが大量虐殺をしなかったかもしれない
アメリカ同時多発テロはなかったかもしれない
「区別」するということは同時に「差別」するということを考えて欲しい(ここで宗教については関わりが薄いかもしれない)。
極論ではあるが、「差別」を無くすためには「区別」を無くす、つまり「興味」を持たないことが有効であるという事だ。
社会問題となっている「差別」。自分が思いつく限りだと、「差別」を無くす方法は他に1つくらいしかない。
まさか「差別の対象を殲滅すれば差別が無くなる」ということを実行されることはないだろう。
今自分ができる努力はこれぐらいしかないのだろうか。
自分が他を「区別」するとき、他も自分を「区別」している。
「区別」は扱いやすく、「区別」に扱われやすい