すーんだい

浅い思考は、人の深い思考を促す

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島根から帰ってきた友人を囲んで夕食、色々な話が出来てとても良かった。学業成就のお守りを貰ってしまったのでこれで受からなかったら八百万の神々を裏切ってしまうことになるかもしれない……(勉強しろ)


今回は立ち止まって何故自分がブログを始めたのかを考えてみる。何回かブログで「アウトプットのため」だとか「気持ちを整理するため」だとか色々悩みを書き溜めたりしたが、そんな事だったらわざわざブログじゃなくてもTwitter(文字数制限はあるけども)で事足りてしまう。
そこで他の理由について考えてみる。


元はと言えば、世の中が楽しくないと思ってしまったのが事の始まりなのかもしれない。悩みと言うよりかは将来の不安、不透明性、一寸先は闇。
社会のシステムを知れば知るほど、そのシステムが上手くいかない未来が見えてしまう。(そういう意味では不透明じゃないと言えるかもしれないが)

何かやりたいことがあったとしても、全ての娯楽、趣味は社会の歯車のひとつになってしまっている。そうである限り、その楽しみを体験するためには自分も社会の歯車になる必要があるのだ。

本当に歯車でいいのかと思ってみたりする。歯車になるのはとても簡単なことだ。東大受験よりも簡単だ。脳死状態で"上"の人が言うことを素直に聞いて、その通りに実行する。言われたこと以外は何もしない。実に楽な社会の経済活動だ。そして疑問なのが、「ここに娯楽を楽しむ余地があるのか」という事だ。中には娯楽を潰してまで経済活動をする人もいる。本当に楽しいのだろうか。


これは決して「歯車の人間」を否定している訳ではない。何も考えずに言いなりで動く人の精神状態が知りたいだけだ。人の営みの一種「興味」なのだから仕方がない。

実際、この「興味」を満たす方法はとてもめんどくさいので、ここでハッキリという。



「人が生きる目的、死ぬ目的、活動する目的、頭を使う目的、その他諸々の疑問について、一度でもいいから考えて欲しい。
さらに欲を言えば、自分から疑問を創り出し、自分の中で答えを出す。
そんな人らしい活動をして欲しい。」




せっかくの人間なのだから「考えること」を大事にしたい。
考えてもらえるようなブログにしたい。
その一点に尽きるのではないだろうか。